備忘録 Part.2

アニメ、漫画、本、映画、ソシャゲなど思いついたことを書きます

194. 「FGO第2部3章 紅の月下美人」について書きました

やりやがったな、虚淵

以前殴り書きで感想を備忘録しましたが、そろそろまとめます。

というわけで、FGO 2部3章「紅の月下美人」について、書きます。

もう一度言いたい。

やりやがったな、虚淵。てめぇ。

 

 

 FGOまどマギのネタバレがあります!〉

 

  • 虚淵は無慈悲な鬼の作家

 

ここで先に、自身のことを述べておきますが、虚淵玄については、PSYCHO-PASSまどマギ、FateZeroとアニプレで育ったから知ってる程度のにわかです。

熱心なニトロプラスのオタクはもしや気を害するかもしれないので、ブラウザバックでお願いします。

 

ただ今から虚淵玄で褒めるんじゃ。
にわかが貶すから怒られるのであって、褒めるのはいいでしょう、と。
大目に見ていただけると幸いです。

 

で、聞きたいのは、果たして虚淵玄とは無慈悲な鬼の作家か。

まずそこだと思います。

 

まどマギを例に挙げます。

もう何年も前の作品なので、大オチを言ってしまいますが、

アニメ版のラストは、まどかが上位の存在となり、「魔法少女が魔女になり、それを打倒した魔法少女が魔女になる」という円環を断つ終わりでした。それこそがまどかにとっての命を懸けてもいいと思える願いだったわけです。まどかの行いにほむら以外は気づかぬまま、報われなかった少女たちは報われ、ハッピーエンドでした。

それが劇場版*1を経ると話は変わります。
劇場版のラストは、まどかの権能をほむらが奪い、世界のシステムを書き換えることにより、まどかを上位の存在から下して終わりを迎える。(かつての)まどかの決意は無為になる。
おしまい。

 

 そりゃあおちゃんも生放送で吠えるわ*2
虚淵被害者の会するわ。

となるわけですが、これはあくまでまどか視点の話。
ほむら視点で見ると全く違うわけです。

 

アニメ版で時間遡行を何度もしていたら、助けられる人間と助けられない人間を切り離して考え始める。いわば救う人と救わない人を生むという覚悟すら身に着けて、それでも救おうとしたまどかが

「あなたは私の最高の友達だったんだね」

といって、目の前から消えていく。
そして、本当に一緒にいたかった人が消えた世界で生き続ける。地獄か*3

映画版で権能を奪う時のほむらが口にする行動原理は「愛よ。」なわけです。
ほむらの思いが報われた瞬間、これこそまさしくハッピーエンド。

 

思えばPSYCHO-PASSもそう、Fate/Zeroもそう。
ハッピーエンドとバッドエンド、救いと呪いが表裏一体になっている。
この卓越したエンディングの感覚、コントロールのセンスこそが虚淵玄がトップライターたる所以と思っています。

虚淵の書く凌辱や拷問といった、おどろおどろしい描写もラノベ導入の客寄せお色気シーンと同じで、あくまで目を引くためのものでしかない。
彼のサイコとはその奥、だれでもハッピーにしてやろうと思ってるし、だれでもバッドにしてやろうとも思っている、恐ろしいほどのフラットさだと思うのです*4

鬼でも無慈悲でもない。
普通が一番怖い。

 


紅の月下美人
虞美人も項羽始皇帝もゴッフも、みんな笑顔でハッピーエンド!
よかったね!

 

やってくれたな、虚淵。てめぇ。

 

紅の月下美人というからには、虞美人ですが、設定は2000年以上生き永らえた真祖。
ここで真祖の設定を書いておくと、真祖とは星が人を律するために生み出した精霊です。(TYPE-MOON Wiki参照)

項羽もまた、会稽零式と呼ばれる、始皇帝が生み出した人の世に太平をもたらすための機械、いわば人ならざる存在。

 

項羽始皇帝亡き後、謀略の末、死に至るわけですが、汎人類史ではその前に虞美人と仲を深めており、その虞美人=芥ヒナコでした。

項羽亡き後、虞美人は人に迫害されながらも、項羽との思い出だけは胸にあった。そのまま、2000年以上生き永らえ、孤独の末にカルデアへ。その後なんやかんやあってシンへ。
そこで項羽と再会。

 

ここの構造として

項羽=人の太平のために作られた人ならざるもの」

「虞美人=人を律するために作られた人ならざるもの」

にも関わらず、人に否定され、利用され、その二人がお互いに救いである、という何とも美しい関係です。

 

が、だ。

 

そんな希望も打ち砕かれるわけです。

徐々に始皇帝の世界は崩れ始めていきます。
今までピンと張られたバランスが新参者によって、ほころびを露呈していきます。

そんな中でも虞美人の行動原理は「項羽を闘わせたくない」という清い願いでした。
思えばシンにて虞美人はずっとこの項羽への思いでしか活動していないんですよね。
しかし、終局、意思を通わせた項羽の最後の望みは、それでもなお「人のために戦うこと」だった。
シンのために戦いに臨む項羽
この時点で虞美人、既に救われない。

虞美人はそんな項羽の最後の望みを受け入れるも、人はそれを打倒するわけです。
「人のために戦った項羽を、否定したのが人である」というのは、闘わせまいと立ち回ってきた虞美人にとって許せないことであり、空想樹と同化してでも相手を打倒しようとします。
2000年も生きてきた虞美人ですから、「人の世=汎人類史」という意識は強いと察してしまうだけに、この行動は人を滅ぼすという点で本気だったことがうかがえました。

しかし、それも届かず、同じく人に打倒され、生涯を終える芥ヒナコ。
彼女の人生は辛く厳しいものでしたが、そこで人側の始皇帝が口にするわけです。

「英霊になれ、そうすれば項羽とまた会えるかもしれんぞ」と。

 

はぁ?????????????????

 

地獄か。

 

ここで言いたいのは、決して始皇帝を否定したいわけではありません。

なぜなら、芥ヒナコにとっての救いとは項羽との再会で、それを叶える唯一の方法が英霊になることです。
ですから、芥ヒナコはこの決断、提案によって救われるでしょう。
それで幸せになってくれれば本当に喜ばしいことだと思います。

ですが、このオチのつけ方で全員が救われたとしても、
「人を律するために生まれ、人に迫害され続けた、人ならざるものが、人のために生きる」という構造に変わりはありません。
芥ヒナコが幸せになれるのに何か浮かばれない、正解なのに気持ちに晴れない、そんなピリオドで終わるのが紅の月下美人でした。

 

  • ソシャゲの中心で鬼と叫んだけもの

 

で、結局割を食ったのはだれか。


始皇帝は対立こそしましたが、人の世を次代に託しました。
虞美人と項羽は構造はどうであれ、救いがある。何より二度目の再会という新しい希望が待っています。
では、これを苦い思い出として、最後に厳しい表情で語ったのはだれか。

我々の視点の代弁者、マシュです。

 

このエンディングで割を食った人の答え。
それは2000年の悲願を踏みにじり、傲慢にも幸せな世を築いていたシンを倒し、にもかかわらずやれ毒薬だのやれ叛逆三銃士だのと騒いでいたカルデア

そして、それをパスにしている我々読者だと自分は考えました。


カルデア(=読者)という視点で考えた時、始皇帝も虞美人も項羽も傲慢で、汎人類史の存続という目的をなかなか叶えさせてくれない。
しかし、我々は選びたかった未来((逆光を掴もうと、進めば進むほどに、自分たちこそが傲慢なのではないか、と気づかされてしまう。
そして、最終的に希望に向かっていたはずのカルデアが救われていないような気持ちで幕を閉じる。

表裏一体のしたたかなシナリオ。
序盤のギャグや熱いスパルタクスの裏では丁寧に伏線を張っており、ここまでするりと苦さを入れ込んできたのは過去の2部シナリオではなかったでしょう。

そこで虚淵玄のしたり顔が浮かぶのです。

そんなシナリオを計算づくでぶち込んできた虚淵!!!!

やりやがったな!!!!てめぇ!!!!!

 

以上が紅の月下美人の感想でした。

非常に上手いストーリーだったと思います。
ディストピア設定も上手く盛り込むことも、スマートフォンを舞台装置にやってのけたことも本当に脱帽しました。
目をふせながら脱帽しました。

とても大満足でした。

*1:劇場版魔法少女まどか☆マギカ 新篇 叛逆の物語」のこと

*2:悠木碧さんが出演された、FGOカルデア放送局Vol.10参照。「絶対に幸せになれません!」という血の通った咆哮が見れます。すごい。

*3:割愛したが、ほむらが地獄だったわけではない。むしろあの時の状況を地獄と思っていたのかは不明。

*4:いつぞやのSFマガジン虚淵玄の読書遍歴の記事が面白かった。たぶん彼にはディストピアSFの血が流れているのだろうと思うし、だからこのような作家性を持つのではないか、と思っている。いい加減鬼哭街やりたいです。