備忘録 Part.2

アニメ、漫画、本、映画、ソシャゲなど思いついたことを書きます

44.オムニバス

今日は朝から晩まで色々と立て込んでいた。

映画を見ようとしてレンタルディスクをプレイヤーに入れたら電話がかかってきたり、寝ようとしたらメールが来たり。

取らなきゃいけなかったりすぐ反応しなきゃいけない内容のやつ(それもちゃんとしたやつ)だったため、慌ただしかった。

 

それはそうと今更ZAQさんの新譜「NO RULE MY RULE」聞いた。

ものすごいアルバムでしばらくこれしか聞かないのかもと思うくらいだった。

 

そもそもの話なんだけど、アルバムって作るのが本当に大変だと思う。音楽とは自己表現の延長線にあって自分と向き合って曲を作り、その曲をまとめて一つの作品にする。

しかし、タイアップが絡むと話が変わってくる。アニソンに限らずタイアップを多く歌われる人のアルバム(声優、ユニット、楽曲提供する人なんでも問わず)って元の要望などの理由から色んなベクトルの曲を作る必要があり、CDの売れ行きのためにそのバラバラの曲をまとめてアルバムにすることを求められる。

その中でもテーマから始まったかのようなコンセプチュアルなアルバムを生み出す人がいたり、タイアップをきれいに消化して一つのアルバムにする人がいるからすごい。

 

その一方で曲を集めたが故にバラバラの方向を向いているアルバムがある。CDは売れてるし一曲一曲はいいけど共通してるところが薄い曲入ってるなぁみたいな。オムニバスチックな一枚になっているアルバムがある。

悪いとは微塵も思っていない。むしろそんなアルバムを穴が開くほど聞くぐらい気に入ったこともあるし、この年からこの年までで切り取って新曲入れてとかそろそろアルバム出すかといって新曲作ってまとめたとか、つまるところ自分の活動を一個の形としているわけなので正しいと思う。

 

それでもやっぱりアルバムを一つの共通項のある作品として成立させるように作ってある方が完成度として美しいと感じる。聞いてしかないけど、そういった作品にはよく作れるなといつも作り手の人に敬服している。

10数曲の中で一貫した空気感、テーマを保ちつつ自分はどういう人間であるかみたいなところまで切っていって、そこに既存の情報、全く自分と違うところに位置する情報を盛り込んで作った曲を組み込まなきゃいけない。

よくアニメタイアップを切り取ってミニアルバムにする人がいるけどその人はアルバムという一つの作品にタイアップを消化しきれなかった故の選択なのだろうと思っている。

 

「NO RULE MY RULE」内にはタイアップ曲が多く収録されている。おそらく半数以上はタイアップ。

そもそもカタラレズトモ割レル慟哭は正義に向き合う男が時を経て正義との向き合い方が変わる対比が綺麗だったり、他にも世界だったり愛だったり運命だったりアニソンらしい手に届かない大きすぎるテーマを歌ってる。

タイトルが発表された時、だからベクトルの違う曲をまとめて詰め込んだ感じかなと。コンレボ好きだし聞いとくかー、くらいにナメていた。すいませんでした。

 

ZAQさんがナタリーで自分のいいところはルールなく作れるところと語っていた。タイトルの由来はそれであると思う。

楽曲群にはタイアップだけでなくラップを取り入れたものやテーマがイベかぶりツレェ!みたいな曲まで入っている。聞けば聞くほど縦横無尽でありながら、全くテーマが違う曲を作るとしても曲を作るのが好きで曲を聴いてもらうのが好きというのが伝わってくる。

 

ベクトルの違うテーマもでかくてぶつかるオムニバスになりかねないタイアップ群、そして新曲の数々。

それらをZAQさんのパーソナルの部分であるルールなく作れるという個性でまとめあげてしまっているのである。

タイアップ曲をスタートに置くのはアルバムの門を広くしている意味合いだけでなく、バラバラさ統一感のなさを強調したスタートになっている。

カタラレズトモ割レル慟哭の対比も全く浮いていないし、イベかぶり(略称)もベクトルがまた別方向なのでアルバムの世界の広さを感じさせられて少しも浮いていない、むしろないと不安になるレベル。

そしてhopenessからのNO RULE MY RULE。もはや曲順が完璧すぎて困る。

 

バラバラのタイアップ群を集めアルバムにするということへの答を前作では自分の制作現場でまとめていたけれど、今回は自分の作家性でまとめ一つの作品としてアルバムにしている。

 

今作は本当にすごいと思います。

本当に。